個性的すぎる

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これまで人にものを教える経験はそれなりにして来た気がする。大学時代に家庭教師では、幼稚園の子に時計の読み方教えたり、小学生、中学生、高校生を教えたし、TA(なのか代理講師なのか...)でプログラミングやら物理系やら実験やらを教えたり試験問題作ったりもした。研究室の後輩にも色々教えた気がする。最近は、毎年必ず 1 人以上の新卒が部下にいる。

特に大学で、比較的年齢の近い子たちに教える時に感じ始めた「ゆとり」。物理系の研究室に偏微分を知らないヤツ、というか全員、が入って来た、あの時の衝撃は未だに忘れられない。どうしてこんなところに迷いこんじゃったのかと。今まで何勉強して来たんだと。高校生からやり直せ!と思ったけど、彼らの話では、教育課程から偏微分はさっさと姿を消したんだとか。今では円周率を 3 と教えているとのこと。円周率 3 と教わった子たちが、pi とか使う意味が理解出来るのだろうか? 3 で良いじゃんって話だし。そのうち大学卒業するまで整数だけで事足りる教育になったりして。今でも付き合いのある、某予備校の数学の先生が、10年くらい前に「今は勉強しなくても誰でも東大に入れる」って言ってたのは、あながち嘘じゃないんだなと、今振り返れば思う。あー恐ろしい。

と、まぁ教育がヤバいという実感は学生の頃から感じていた訳だが、「ゆとり教育」によってどうやら学力低下よりも深刻な問題が起こっているのだろうと、管理職となった最近は実感している。

それは、「社会性」とでも言うのだろうか?個性を重視しすぎたせいなのか、プライドだけがやたら高く、協調性がなく、相手の立場に立つとか、先輩を敬うとかとかとか、社会生活を送るために最低限必要な、義務教育過程で当然身に付けてくるべきようなスキルが年々低下している。全員がそうだと言う訳ではないが、そういう子たちが増えている。

初めて授業参観に行った時、先生が子供たちを、名字にさん付けで呼んでいて驚いた。全員桃太郎な学芸会もあるらしい。「けいどろ」は携帯で連絡取り合ってやってたりと、もはやみんな携帯を持っているので、親が出たらどうしようとドキドキしたり、失礼のないようにとか気を使ったりなんてこともないんだろう。確かにこんなんじゃ、社会性もへったくれもないのかと思う。先生は超怖くて、竹刀を持った先生が必ず学校に 1 人はいて、逆らえばすぐ殴られた我々とは時代が違うんだ。

だから、しょうがな、くないのが社会。そこは覚えてもらってかないとならない。なので、人材育成において、例えば新卒ならスキル云々の前に、社会性を身につけさせる必要がある。多分、これまでも同じような感じだったのだろうと思うけど、同じ方法は通じなくなって来ているし、前述の通り、前提条件もかなり歪んで来ているので、特に気を使う必要があるのだと思う。それに、私にとってみれば、10歳以上年の離れた子たちの価値観は、もはやモラルハザードにすら感じられる訳で、相容れない価値観を持っているところが、また難しいところなんだと思う。信じられないというだけで、どっちが正しいとか言うのはないのだと思うけど。

と言う訳で、うちにも個性的過ぎる新卒がいる。何度も諦めようと思ったけど、この子がダメならうちの子はきっともっとダメなんだろうなという危機感がつなぎ止めているというような子。なので、これから色々振り返ってみたいと思う。ただの愚痴にならないように気をつけたい。と今は思っている。

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このページは、hiroshiが2010年2月 7日 04:35に書いたブログ記事です。

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